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夜中のコンビニ弁当と人類の生物としての間違い このエントリーをはてなブックマークに追加

夜中にコンビニ弁当を食べてると孤独のグルメを思い出してテンションあがるけど、ふと思った。
商品の価格は基本的にコストで決まる、と単純に考えたとしても、健康に良いものよりも悪いものが安価で入手できる、というのは生物として明らかにおかしいよね。
恐らく人類史で実現は出来ないだろうけど、良いものが安価で大量、悪いものが高価で少量、というのが人類が目指すべき世界(社会)じゃなかろうか。

科学というのは1から10まであるものを、現状では1から6までしか把握できてなければ7から10を切り捨てて実現するものだけど、ある存在が10までを内包し、かつ人間の知識として7から10は不明でも、実際に7から10が人間の某に影響する、という事実は変わらないわけで、現在も科学はその7から10を明らかにするよう努力されてるわけだけど、既知であるものだけ(デジタル)で作る、というのは実に漠然とだが恐ろしいものだなと。

日本のCMのぜんぶ1953-2012 たった15秒なのに、何十年もおぼえている。に行ってきたのだが、そこは撮影禁止だった。それ自体は当然だと思うが、実体験しえない歴史の某を残す行動が、またそこから歴史に残せる手段(撮影)を禁じるというのも本末転倒に思う。
某かの事情で希少性こそが価値だとされる事がある、というか商品を売るための手段として強い、という事なのだけど、いずれコストを考えず世代をまたいだ長期保存を念頭に消費よりも質が優先されながら破綻しない方法を人類は見つけられるのだろうか?

夜中にコンビニ弁当を食べながら、ふとそんな事を考えた。

感想(考察) [ 2012/09/26 06:17 ]


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