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【質問】母国語と外国語が逆の2人が互いの外国語で会話する方法の名称は無いのだろうか? このエントリーをはてなブックマークに追加

人物Aと人物Bが会話している。
人物Aは英語が母国語だが日本語がわかるので日本語で話し、
人物Bは日本語が母国語だが英語がわかるので英語で話す。
互いに聞くのは母国語だが話すのは外国語。
この会話方法に「名称」は無いのだろうか?

通訳や翻訳は1人が話せば成り立つので却下。
互いに、というのが肝。
感想(考察) [ 2014/05/31 06:31 ]

最近「漫画」の読み方が難しくてつらくなってきた このエントリーをはてなブックマークに追加

最近、アニメのシドニアの騎士を見て、原作である漫画を再読して思ったのだが、漫画というのは非常に扱いづらい。
文字中心の本の場合には、創作である小説も暗記や知識のための実用書も区別なく4色ボールペンで本に書き込む。
漫画の場合にはそうはいかない。
文字だけの本と違い、書き込むことで汚れて絵が見づらくなるし、自分以外も読むし、ダークナイト リターンズウォッチメンのようにフルカラーで光沢がある紙には、それこそ余計な汚れを足すだけで読みづらく、そもそも書き込んでもインクが定着せず、にじんでしまう。
付箋をはるが、頁内のどの齣、どの絵、どの文字に着目したのか見ながら考えないといけないので、やはり不便だ。
自分の出力につなげるには、主観的管理、編集が重要で、『ダークナイト』で「ジョーカー」を演じたヒース・レジャーの日記では漫画などを切り貼りしてまとめてる。
しかし、1冊が数千円する漫画を読む用と書き込み切り貼る用の複数冊を買う金銭的余裕が無い。
文字の場合には、1字1句を書き写して意味さえわかれば問題ないが、漫画はおおよその構図だけじゃなく、具体的な細部にこそ核心があるので、書き写すには原著に近い手間がかかる。そんなの素人には無理だ。

デジタル書籍じゃ意味がない。
手書き、そして目が疲れにくい紙だから有効なのだ。

自分にとって「読む」とは使い捨て消費するのではなく、「感想を話す」程度の簡単な出力にせよ、出力するのが前提の入力なので、その点で、紙媒体における1番簡単に読みやすくわかりやすい漫画こそが、自分には扱いづらく作品の形と印象を残そうと思えば思うほど、「読む」しか出来なくてつらい。
感想(考察) [ 2014/05/25 18:51 ]

【影技 SHADOW SKILL】が24年かけて完結したので感想と思い出を書いたよ このエントリーをはてなブックマークに追加

影技 SHADOW SKILL(11)が発売され、1巻が発売されたのが1993年。
自分は未読だが、同人誌の時代から数えて24年にして完結。
この最終巻を、5年くらい前に10巻程度で出来てたら、もっと素直に読者は盛り上がってたんじゃなかろうか?
単純に時間が長過ぎたし絵も変わりすぎたw

本作は出版社が何回か変わりながら単行本が発売されていて、単行本に書かれている巻数が総数と一致しない。
1巻から4巻までは竹書房。
5巻は順序数が書いてなくて講談社。
そして6巻から最後までは、新編で「(新)1巻」という順序数で11巻まで。
つまり表示上1から4、数字無し、1から11で全16冊となっている。
数字の表記で混乱して、表紙の絵に、机に傷を刻むナイフの絵が描かれていて、その刻まれた傷の数が真の巻数である。
(新)1巻には傷が6つ刻まれている。
この記事では、表紙の順序数じゃなく、ナイフの傷を巻数として書く。

そもそも自分がこの作品を知ったのは4巻が発売される前だから1995年くらい。
3巻まで持ってた知人が突然「これすげえ面白れえ」と言って進めてきた。
当時Jim Leeが描いてアメリカで売り上げ大記録だったX-Menの日本語版をもっていた自分にとっても、かなり読みづらい漫画というのが印象だったが、武器の名前、ソードやブレードやメイスやハーケンなどを、爪刀や舞刀や滅刺や刃拳など、素手の技の名前に字を当てる感覚や、背景など問答無用の描き込みなど迫力があり、その知人の後を追って読むようになった。
魍魎戦記MADARAや修羅の門なども、その知人から知った作品であった。
1993年から1996年の3年間で1巻から4巻まで発売されて、自分が4巻からほぼリアルタイムだったのだが、やっと本筋が動いて本編が始まったと思ったら連載休止。
5巻は出版社を変えて3年後の1999年に発売した。
その3年間で好みもかわり、正直シャドウスキル自体どうでもよくなっていたが、3年の半端だが懐かしさもあり、結局は今まで完結するまで買い続けることになる。

ドラマCDも発売されていて、その知人と一緒に聞いたが、当時90210にはまっていたのでフォウリイの水谷優子がアンドレアにしか聞こえず違和感があり、ヴァイは大塚明夫と渋すぎたw
下記のアニメ版では大塚明夫から松本保典に変更されていた。
フォウリィは今やるなら田中敦子とかありそうね。
4巻が発売される頃にはOVA、その後2クールのアニメにもなった。
正直、自分は知人から知ったが知名度などあると思っていなかったし、日本経済も下降しだしてた時に何故アニメ化したのか、出来たのか今でも謎だw
アニメの内容はかなり単行本よりも先をいっていて、フウマなど陰流のキャラも登場してた。
当時の自分はアニメ自体に興味が無くなり断片で見知っていた程度だった。
実は今でも細かい展開や原作の違いを知らない。
OP曲のborn Legendはラテン乗りで格好いい。こういう声質の歌手って今はメジャに扱われないし。



のちのち作画や設定が大きく崩壊するも、本作の魅力は見開き2頁の決めだろう。
背景がトーンやベタを多用した陰影でしっかりと書いてあり、人物と背景がほとんど同じ絵柄で白身が無く逆に読みにくいまであるが、見慣れると、兎に角ド迫力であることも確か。しかも単行本の判型が大きく、個人的には海皇紀も同じ判型で発売してほしい。物理的な大きさというのは重要だ。

自分が本作を読み始めたあたりで、小説も発売されて、それも借りて読んだ。
その時点では漫画じゃ描かれていなかった設定、修練闘士(セヴァール)の上になる真・修練闘士(ハイセヴァール)という用語もあり、漫画の単行本よりも小説が先だった。
連載を追いかけてなかったので、小説と連載は同時期だったのかも知れない…。

シャドウスキルを進めてきた知人は、当時まだマイナなゲームで開発者自身が主人公の声優もかねてたギルティ・ギアを好きで、後のぶるらじで「技が決まって漢字が出るのが格好いい」と言われた演出も、なるほどシャドウスキルにも通じることで、今更ながらに色色なつながりを感じられた面白かった。

武技言語という設定が見開きに並ぶ本作の特徴で、決め台詞と、決め台詞の設定的必然性と、そして明朝書体かつ漢字かつえらく描きこまれた絵柄の見開きという作中と作外を両立した良い設定演出。
毎巻に同じ見開き演出でマンネリしたのも確かなのだが…w
武技言語とは「我は無敵なり」などの台詞で、自己暗示によって能力を増幅するという能力(設定)。
今アニメが放送されている棺姫のチャイカで主人公が似たようなことをしていて、一緒に見てた人に「武技言語じゃん!w」と話したが通じなくてさみしかったw
作品の後半で、後付けとは言え、毎回どうして武技言語で技が決まるのかという説明もされていて、武技言語の理屈にそった内容で、これは納得いき展開にもならっていて感心した。
もっとも、その設定は1巻から10年後の8巻でやっと書かれたことなのだけどw

本作の見開きは2種類あり、1つは登場人物の決め。
もう1つが、遠景画。
複数の国が登場するのに、その位置関係が全くわからないのだけど、風景そのものはしっかりと描かれて遠景に行くまでのコマ割構成もしっかり演出されているので、遠景の見開きは今読んでもヒャッハーってなるくらいに格好いい。

本筋は1巻から16巻まで続いてる長編なのだが、1巻から4巻まで、そして連載再開してからの5巻と6巻は、それぞれに単行本1冊で話がひと区切りついて終わるようになっていて、その点で読みやすく安心して、しかし設定の前振りは大きいので続きはいつやるんだという不安の混ざった状態だったw
7巻からは、1冊で話が終わらずに次巻に展開をつなげる構成になった。

本作の途中で、聖闘士星矢EPISODE.Gの連載が開始されて驚いた。
岡田芽武が、あの聖闘士星矢を!?
そんなに評価されてた作家だったの?www
たしかに本作以外の作品もあったしは自分も読んだが、はっきり言ってマイナ作家だと思ってたし、何より知人に本作を聞いていなければ生涯知らない作家だったろう自信があるし、本作を知ったあとでも印象はそう変わらないものだったから驚いた。
そういう意味では2クールのアニメ化された時くらい驚いた。

絵柄の変化としては、
1から2が初期。
3から漫画的な目つきになって、4で少年誌的な絵として完成した印象。
5は4に近いが顎や唇の描きかたが変わって、新1巻である6でなんじゃこりゃ、となる片鱗が見えるw
6はスカーフェイス個人の話で、話の内容は展開は良いのだけど、絵がおかしくなり始めたので凄く残念。
この頃から作風も変わりだして、顔文字の(゜ロ゜)みたいな強調絵も見られるようになる。
話は主人公ガウの国クルダ以外に舞台をうつして、世界観の描き方にはある程度成功しているし、しっかり王道ファンタジをやっていると思う。
7で作画が完全にデジタルになったのか6を更に崩して目が無駄にでかくゆがんで背景もどこか薄っぺらく感じられる。
8で道具にもなれたのか、顔はおかしくなり続けてるものの全体的な仕上がりは7よりもちゃんとして読める。それでも4までを知ってるとつらいのだけど、この頃には敵の設定や毎巻同じ展開を崩れて行く絵で見せられてそれどころではないのだけどw
9と10は相対的にはまともで
酷いのは11。
だってこれ(3巻)が…


これだぜ?


どうしてこうなった…

続巻では少しずつ顔絵は落ち着いていき、最終巻(16)では絵柄自体は幼いながらも落ち着いた絵で見られる。
しかし、絵の変化はるろうに剣心と比較したくなるほどに酷いと思う。

展開について。
1から4までは文句無し。
これは読んでた時の自分の歳もあるが、岡田芽武も若く体力と情熱があり絵もしっかり描いて話も壮大な前振りながらキャラと舞台を徐徐に見せていて、素直にwktkする格闘ファンタジーになってる。
当時コア・イクスの格好つけた格好悪さが知人とつぼにはまり、コア・イクスという名前を言うだけで箸転がし状態。会うたびにネタとしてよく話してた。
まさか、無駄にイケメンになって再登場するとは思わなかった。
そしてイケメンと言っても絵柄と顔つきの両方が変化していてイケメン()なのだけどもw
この頃は女の裸も何も隠さずに描かれていて、それなりに美形のエレやフォウリイやキュオの乳首おっぱいなのに変に突き出た胸で全く興奮しなかったのを覚えてるw
5巻は、まさか発売されるとは思わず、そして絵柄も多少は変わってたがしっかりシャドウスキルしていて、既にシャドウスキルに興味が無くなってきた歳だったが、それでもちゃんと面白かった。
フォウリイの設定を増やしてキャラの愛嬌が増し、かつ4まで煽るだけだった陰流の敵がついに対戦相手としてフウマ登場する(キャラ自体は例えヘタレだとしても!w)。
唯一の不満は、本誌のカラーページをそのまま収録してるのは良いけど百花繚乱の見開き2頁こそをカラーで描いて欲しかった。折角フォウリイのターンで1番の見せ場なんだからさ。
5で神音(カノン)の効果が変わった。蹴った対象の後ろの物体を破壊する技だったのに、蹴った対象を破壊する技になってた。
実は4でも裂破(レイピア)が横蹴りから回し蹴りになってたり、こまけぇこたぁいいんだよ!!w
4の頃は、クルダと同等の国とキャラが全員揃って、ついに本編開始キター!!と興奮したけど、結局リキトアとフェルシアは…w
あと5のGカインの顔が丸くなりすぎて笑った。3の時の鋭さはいったいどこへ…w
ガウの「前へ…」は当時クロネコヤマトの「1歩前へ」が脳内再生されて名場面の筈なのに初見で笑ってしまってつらかったw
6はスカーフェイス回。先に書いたが、話は待ってました、だったのに敵がぱっと出だったのと絵が崩れ始めた頃なので、それなりに楽しんだがのめりこめなかった。当時の年齢のせいもある。しかし、完結して改めて読み返しても6はちゃんと読めてやりたい事と読んでる事が一致してる感じがするし、ちゃんとしている。
問題は7から。絵柄の崩れが「酷い」と認識するくらいになり、既にシャドウスキルという作品自体への興味うせていて惰性で買って読んでいた。話自体はクルダ以外の国が舞台でちゃんと展開してるのでそれなりに刺激も受けたのだが、顔の崩れと、舞台が変わっても展開しない本筋、技の破壊力に対するキャラの耐久力の乖離など、色色と作風とは言え問題を見逃せなくなってきて、正直ここから敵キャラの名前や顔、あるいは展開自体が頭に入らず買った時に惰性で読んで再読せずに放置という感じだった。最終巻まで。
設定も、段々と血縁祭り。ガウやエレやスカーフェイスやカイや陰流連中やら
特にカイは酷かった。
ガウやスカーフェイスはあるいは最初からそこまで考えたのかな、ある意味では少年漫画としてしょうがない設定でもあるが、カイは無いだろ。
最終巻を読んで、4まで発売されてた当時は、知人と「スカーフェイスがラスボスなんじゃね?」と話してた。
まさか題名の通りここまでまっとうに攻めてくるとは思わなかった。
この展開は、当初からの考えと言われても納得できるし、良かった。
ただし、最後の対決ガウエレ見開きがもはや絵が腑抜けて、互いの蹴りが当たっていないのに次頁で相打ちで互いに死にかけた状態という演出にはついていけなかった。
もはや、この作品を描くだけの体力と情熱は岡田芽武には無いのだな、と悲しかった。
せめて、10巻を10年程度で書き上げて完結だったら、素直に素晴らしい作品だったと思ったろう。
もうアニメ化はされないのかな?
作画をしっかりして設定を見直して再構成して2クールでやったら、ちゃんと格好よく受ける作品として評価されるような気もするが…今更か。

正直、全16冊のうち、後ろの半分以上が酷いと思うし、
それでも、自分が20年弱もつきあったあまり有名とは言えない作品の最終回を読んで、作品を知った理由も自分じゃなく古い知人だった事とか、色色と思い出し、今また何か思うというのは、それだけで充分に良い作品だったのかな?
とかぬるい事も考えたり。

生涯に1度しか無いShadow Skill祭りなので、書いた。
何か思い出したり、他の感想で面白いの見つけたら触発されて追記するかも。



感想(考察) [ 2014/05/24 02:35 ]

非ガノタが見た「ガンダムUC(7)」が糞アニメだった件 このエントリーをはてなブックマークに追加

7話、あるいはシリーズの不満点。

  • 意味深で無意味な台詞の応酬

  • ガンダムの変形や装備が視覚的な変化だけで物語の展開や描写における意味がない

  • MSの戦闘画面が視聴者への収集的な羅列で作中現実における戦争として描写ではない

  • 設定的に長きにわたる種族間の戦争なのに、攻撃手段が尺あわせや死なないキャラなど大人の事情が丸見えの稚拙さ。例えば銃を撃たずに銃を撃たれてる中で無駄に接近したり、それまでの演出上は剣の1撃で倒せるのに剣を使わずに蹴るなど。過去作をなぞった演出のため?

  • やたら連呼される「可能性という名の神」という台詞のように、異なる概念で1単語ですむ名詞や用語を無駄に装飾して賢ぶりたい頭の悪い会話と決め台詞

  • アンジェロ。戦闘中にMSでおじぎをする「戦争」を馬鹿にした厨二演出。人格や造形も「戦争」を描くにはふさわしくない美形人気獲得キャラ。

  • 青臭いバナージ(主人公)理想主義に対して説教や補助する大人たちも青臭く語彙が違うだけで存在が無意味。

  • フルフロンタルの掌返し。最終決戦で次代にまかせるようになるなら箱の中身がわかりバナージとミネバの主張を聞いて話は終わってる。段取りが酷すぎる。

  • 機械(ロボット)なのに結局は精神論、根性の卓袱台返し。

  • 初代ガンダムを見てなくても知ってる要素が作中で登場するが、知らない要素は意味不明で、知ってる要素は登場する理由が不明。石塚運昇が何の関係もない2役やって。アムロとララァって何のために何で出てきたの?

  • ミネバ演説の意味がない。物語における感動的な演説というのは、最終決戦への「挑戦」の際に、奇跡を起こす、あるいは奇跡に勝る行動を呼び起こすためのもの。だから壮絶に馬鹿な映画インデペンデンス・デイパシフィック・リムの演説は感動する。バナージによる奇跡後に演説しても、それは戦争するにせよしないにせよ安心を得たあとの盲信にすぎず、つまり本編開始と本編終了の状況が抽象的には変わらず、これまで作品を見てきた時間が無駄ってこと。


小中学生に向けて作り、小中学生がこれにはまり大好評ならわかる。
というかガンダムというのが、まさしく玩具を作って売るためだけの資料なのだとう事を今更ながらに思い知った。
作画や音楽、そして売り上げ、日本を代表する大作みたいな評判を聞いて、またトレイラで世代間、種族間、男女愛、普遍的な問題が個性的な装飾で描かれ戦争の利鈍にまで踏み込んだ名作、を期待して見た自分が馬鹿だった。
少なくともアニメとしての動画や音響やらは日本におけるトップレベルの作品。
しかし、作品としては予算と手間に対してあまりに空虚。酷い。
細かい不満はあれど5までは楽しめてたけど、それぞれ1時間あって展開は遅く、原作あると知らず初見だったのに場面の飛躍から構成に抜けてる要素が見出せて、最終回がアレで、1から6までの細かい不満が致命傷に思えてしまう。
ブランドだけでここまで予算とられて自分の好きな作品がアニメ化されない現実が、バナージ、悲しいね。



感想(考察) [ 2014/05/22 09:29 ]

【アナと雪の女王】女による絶賛も男による酷評も馬鹿らしい理由 このエントリーをはてなブックマークに追加

男による酷評と女による絶賛という構図に過剰反応する男女。
自分は、日本で上映される前に、Kristen Bellがついにヴェロニカ・マーズ以外の代表作を手に入れたという話を聞いて、内容を知らないままにWOWOWのアカデミー賞で曲だけ聞いて「くそつまらん曲だな」と当時は主題歌と知らず評価して、その後に日本上映されてくそつまらなかった、という感想。
しかし、男による酷評と女による絶賛という構図で盛り上がるのも実に馬鹿らしく見えるので、少し違うことを書いてみる。

これを映画として認識するから、ここまで酷評する声が大きくなるのだろうと思う。
実際に映画なのだが、こう考えてみてはどうだろう?
ディズニーと言えば、ディズニーランド。
あそこは大金と人手で客を「自己陶酔」させる場所だ。
アナ雪も同じだ。

ダークナイトを見て正義とは何か社会のありようとは世界はどうすれば守れるかを考えて作品を語り作品に感動した男でも駐輪禁止の場所に自転車を迷わず止め犯罪と認識せず罪悪感もなく生きる人もいるだろう。
アナ雪も同じく、作品に感動したと言ってレリゴーレリゴー(Let it go)くちずさむ女がいても、別にそれによって「女はかくあるべし」とか見知らぬ国で消費される未成年の強制売春を無くすにはどうすればいいかどこに金をだせばいいかなど考えないだろう。
その程度なのだ。
「ありのままの自分」なんて結局は自己満足の自己完結で自己陶酔ヒャッハーなんだからそれ(作品)を分析したら気持ち悪いものばかり出てくるの当然。
当人以外にはどうでもいいことなんだから。

女にむけて


個人的には、素晴らしく売れているアナ雪だが、数年ごとに語られるほど息が長い名作にはならないだろうと思う。
作品を見て感動した人人=女が「ありのままの自分」こそ本懐とするならば、結局は執着の対象が何よりも自分なわけで「自分じゃない作品」の某かの継続なんてどうでも良いだろうから。
「これこそ女だ」とアナ雪を絶賛する女は、それこそ「アナ雪の良さをわからない男」を相手にするのではなく、アナ雪の良い情報(感想や商品)を忘れずに年単位で自ら情報出力を継続し歴史に残すこと。もし作品に感動したならば、それこそが作品に対する生きた絶賛じゃなかろうか。

男にむけて


日本における男の消費者は弱すぎる。
アメリカじゃアナ雪同様にダークナイトも売れてる。
つまり、女の作品も男の作品も等しいのだ。客層は異なっても。
しかし、日本じゃ、この2作の売り上げは酷い格差がある。
女の作品を酷評する暇があるなら、自分(男)の作品を買って語って売り上げと作品の作外情報(感想)こそを残そう。
感想(考察) [ 2014/05/22 08:49 ]


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